前編からの続き

MZ2500を入手して、最初にやらなければならないのは「顧客名簿」の制作だ、

今ならば「筆まめ」「宛名職人」を数千円で購入すれば事足りる、だが、世の中にまだそんなお手軽ソフトは存在していない、PC9800用のビジネスソフトはあったかもしれないがバカ高い上に価格の高さを言い訳するために余計な機能ばかり装備していて使い勝手は悪そうだ、

本格的なカード型データベースソフトの概念は2年後のMac用HyperCard出現までお預けだ、

つまり手元にあるのは「BASIC」だ、それだけだ、

この状況は最初にMZ2000を手にした時から変わっていない、

今となっては、どんなプログラムを書いたのか全く覚えがない、

おそらく name(N) add(N) phone(N)などと言った一次元配列変数に名前、住所、電話番号などを代入して、添字Nで串刺しに管理したものが基本だったはず、

もしくは二次元配列変数okyaku(N.F)の、Nは顧客番号、Fの値で1は名前、2は住所、3は電話番号といった振り分けをしたかもしれない、うん、このほうがだいぶスマートだ、

ちなみにNの顧客番号は、今でもハガキの宛先の下に記入している『29EI-12345』の顧客番号の起源だ、ハイフンあとの数字は今は5桁だが、2桁の方は今は一人もいない、3桁の客さんが4人、かなり古くからのお客さんということになる

BASICの特徴は、サブルーチンもメインルーチンの中に混在させなければならないこと、

ソフトを起動して作業を選ぶ選択肢を表示するだけのメインルーチンを書いた後は、それぞれの作業別に書かれたサブルーチンに飛ぶわけだ、

簡単なフローチャートを走り書きしただけで、

メインルーチンは行番号10番から、

新しい顧客情報の入力は行番号1000番に飛ぶ、

名前や住所による検索は2000番代から、

印刷は3000番から、

と、一つの長々したプログラムを書いてとりあえず走らせてみる、

大学ノート数冊に書かれた顧客情報をかたっぱしから入力し始めて気がつく、

.同じ人を重複して入力した場合のチェック機能が必要だ、

.個々のお客さんがどの程度の頻度で来船しているか?カウントしたほうがいいなぁ、

.数年にわたって来船しないお客さんは名簿から外すように、最後の来船日時のデータも欲しい、

などなど、思いつくたびに、プログラムの修正をし、新しいサブルーチンを4000番代、5000番代と付け加え、いわゆる「スパゲティー状態」のプログラムはさらにさらに混迷の度を深めていく、

印刷機能も乏しかった、

当時のプリンターは(それでも10万近くはしたと思うが)自動で給紙する機能などない、

英文タイプライターのように印刷したい紙を一枚一枚、プリンター脇のハンドルを回してセットする、目測で合わせた印刷開始位置がブレれば印刷自体もズレていく、ハガキにそのまま印刷などできないし、タックシールのシールがある部分と台紙の部分の段差でローラーが滑って印刷位置がずれてしまいうまく印刷できない、しかたないのでA4のプリンター用紙(あ、これも最初は結構高かったなぁ)一枚に10人程度の宛先を印刷してハサミで切ってハガキに糊付けした、しかも2段枠組みなどできなかったので、まず右詰めで5人分を印刷したのち、上下を逆さまにセットして左側の空白部分に残りの5人分を印刷した、

年賀状の本文も直に印刷はできないので、パソコンで原稿を作ってプリントゴッコでぺったんぺったんやったなぁ、ハガキに宛名の紙を貼る作業を面白がって手伝ってくれる子供達の姿を見ると、まるで何かの内職を家中でやっているようでうら寂しかった(笑)

そうこうして出したその年の暮れの年賀状、約300枚…

半数近い150枚は宛名不明で戻された、そりゃそうだ、数年前に記入した乗船名簿、しかも大学ノートを回し書き、引っ越した人もいれば、そもそもきちんと記入していない人も多かったはずだ、当時ハガキは40円だったかなぁ、たかだか数千円のロスではあるが、じいさんは「もったいない!」と烈火のごとく怒った、

お客がないときに「俺」の手伝いもせずに、わけのわからない機械で遊んで「仕事だ」と言い張った挙句にこれか?と、

年賀はがきを持ってきた人に独断で500円割引をしたことでさらに怒った「損をした、損をした」と、

思えば、お気に入りの「跡を継いでくれた婿さん」が「俺の思い通りに動かないやつ」へと変貌した瞬間だったかもしれない、

ただ、じいさんに怒鳴られてもこの流れを止めるわけにはいかない、

乗船名簿をノートから個別のカードへと変えた、印刷所に頼むなどとは言えないので、プリントゴッコで用紙を印刷して、半券とのキリトリセンに一枚一枚ミシン目をカッターで入れた、

当時、スポーツ紙に情報を載せていなくて、ネットなどもない時代、お客さんにアピールするために、年賀、暑中見舞いの他に春や秋にもハガキを出した、2回目以降は宛名不明のハガキは激減したが、それでもハガキと交換に500円引きをするたびに、じいさんは面白くなさそうにしていたなぁ、

MZ2500は仕事だけに使っていたわけではない、
最初にやったRPGはウィザードリィだったなぁ、夢幻の心臓とか、コーエーのシミュレーションとか、

シリアルポートにモデムをつないでパソコン通信も行った、小学館が「popcom」というパソコン雑誌を発行していて、そこのスタッフが管理していた「popcom-net」に入り浸った、300bpsという今から思えば超低速でつながれた回線は掲示板の文章などは転送されるのを目で追いつく程度の速さだった、家族が電話を使用しない夜中に黙々と掲示板通じて見知らぬ人と仲良くなる、チャットルームが実装されると時間を決めてチャットしなくてはならなくなり、電話とネット2回線分を同時につかえるISDNに加入した、

プログラミングのことで解らないことがあるとなんでも答えてくれる「KUNIさん」と親しくなり、「師匠」などと呼んでいたのだが、OFF会に出向いて行った神田神保町のファミレスに現れたのはまだあどけなさの抜けない中学生で、向こうも同い年くらいの学生だと思っていた「yokkatuさん」が子持ちのおっさんでお互い目を丸くしたものだが、年齢や性別関係なくネット上での友人に新鮮さを覚えたりもした、

だが、その代償は高くついた、毎月の電話代が3~5万円となって「いい加減にしなさい!」と家内に怒られたものだ、「電話代を気にしないで、もっと高速でつながるパソコン通信ができたらいいなぁ…」という夢の実現までにはまだまだ十数年を要する…

次回、「思い出のコンピューター5〜X68000編」いつの日か?